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伊勢志摩宿泊観光イベントニュース

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役場職員の制服に「みいと織り」ー三井財閥の基となった松阪木綿の生産地=明和町

多気郡明和町は今年度から、松阪木綿の名で知られる「御糸(みいと)織り」で作ったシャツを町長はじめ職員、議会議員の夏の制服として採用した。町役場職員は7月10日から毎水曜日をみいと織りのシャツを着る日と決めた。

みいと織りで作られたオリジナルシャツ、明和町職員の制服に


 同町は、古代から平安時代に天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する斎王(さいおう)が住んでいたとされる斎宮(さいくう)跡が残る。松阪市と伊勢市に挟まれた位置にあり、伊勢神宮125社に数えられる内宮の所管社「神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)」(松阪市大垣内町)、「神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)」(松阪市井口中町)は行政区は松阪市になるが、昔から神宮との関わりが深い地域。江戸時代には、三井財閥を築いた「三越(越後屋)」(東京都中央区)の創始者・三井高利、今の「松坂屋」(愛知県名古屋市)の名前の由来になった上野で開いた松坂屋の創始者・太田利兵衛は共に伊勢商人(松坂商人)で、江戸で松阪木綿の販売をきっかけに成長していった。

 明和町は、2013年3月の議会で「みいと織り」のPRを目的に一般会計から135万円を予算化(シャツ139着分=125.1万円)、町政55周年記念も兼ねた。かつて1000近くあった松阪木綿の織物工場は現在、手織りする数社と機械織り生産する1875(明治8)年創業の「御絲織物(みいとおりもの)」(明和町養川、TEL 0596-55-2217)1社のみ。

 みいと織りは、鮮やかな藍色と縦縞が特徴で江戸時代に一世風靡(ふうび)したファッションだったがライフスタイルが、和服から洋服へとシフトしたことが原因で衰退していった。今回の取り組みを中井幸充明和町町長は「松阪木綿、実は『みいと織り』なんです」と生産地=明和町をさりげなくPRしながら、さらに松阪木綿の消費拡大につなげようとする。

 制服は、男性用に3種類、女性用に6種類の柄を用意。デザイン、縫製などについては両者で協議しながらオリジナルを作った。同町の斎宮跡・文化観光課文化観光係の小山隆伯さんは「役場の職員が着用しているものと同じデザインのものがご希望であれば、御絲織物へ直接問い合わせてもらえれば。1着約14,000円(注文生産になるので、納品までに時間がかかる)」と説明する。

 みいと織りの商品が購入できるところは現在、斎宮歴史博物館横「あざふるさと」、いつきのみや歴史体験館横「いつき茶屋」。「今後、このシャツを各イベントや行事で、町長、議会議員、職員が積極的に着用することで、さらなるPRをしていきたい」とも。

ソース(伊勢志摩経済新聞)

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役場職員の制服に「みいと織り」ー三井財閥の基となった松阪木綿の生産地=明和町

多気郡明和町は今年度から、松阪木綿の名で知られる「御糸(みいと)織り」で作ったシャツを町長はじめ職員、議会議員の夏の制服として採用した。町役場職員は7月10日から毎水曜日をみいと織りのシャツを着る日と決めた。

みいと織りで作られたオリジナルシャツ、明和町職員の制服に


 同町は、古代から平安時代に天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する斎王(さいおう)が住んでいたとされる斎宮(さいくう)跡が残る。松阪市と伊勢市に挟まれた位置にあり、伊勢神宮125社に数えられる内宮の所管社「神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)」(松阪市大垣内町)、「神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)」(松阪市井口中町)は行政区は松阪市になるが、昔から神宮との関わりが深い地域。江戸時代には、三井財閥を築いた「三越(越後屋)」(東京都中央区)の創始者・三井高利、今の「松坂屋」(愛知県名古屋市)の名前の由来になった上野で開いた松坂屋の創始者・太田利兵衛は共に伊勢商人(松坂商人)で、江戸で松阪木綿の販売をきっかけに成長していった。

 明和町は、2013年3月の議会で「みいと織り」のPRを目的に一般会計から135万円を予算化(シャツ139着分=125.1万円)、町政55周年記念も兼ねた。かつて1000近くあった松阪木綿の織物工場は現在、手織りする数社と機械織り生産する1875(明治8)年創業の「御絲織物(みいとおりもの)」(明和町養川、TEL 0596-55-2217)1社のみ。

 みいと織りは、鮮やかな藍色と縦縞が特徴で江戸時代に一世風靡(ふうび)したファッションだったがライフスタイルが、和服から洋服へとシフトしたことが原因で衰退していった。今回の取り組みを中井幸充明和町町長は「松阪木綿、実は『みいと織り』なんです」と生産地=明和町をさりげなくPRしながら、さらに松阪木綿の消費拡大につなげようとする。

 制服は、男性用に3種類、女性用に6種類の柄を用意。デザイン、縫製などについては両者で協議しながらオリジナルを作った。同町の斎宮跡・文化観光課文化観光係の小山隆伯さんは「役場の職員が着用しているものと同じデザインのものがご希望であれば、御絲織物へ直接問い合わせてもらえれば。1着約14,000円(注文生産になるので、納品までに時間がかかる)」と説明する。

 みいと織りの商品が購入できるところは現在、斎宮歴史博物館横「あざふるさと」、いつきのみや歴史体験館横「いつき茶屋」。「今後、このシャツを各イベントや行事で、町長、議会議員、職員が積極的に着用することで、さらなるPRをしていきたい」とも。

ソース(伊勢志摩経済新聞)

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役場職員の制服に「みいと織り」ー三井財閥の基となった松阪木綿の生産地=明和町

多気郡明和町は今年度から、松阪木綿の名で知られる「御糸(みいと)織り」で作ったシャツを町長はじめ職員、議会議員の夏の制服として採用した。町役場職員は7月10日から毎水曜日をみいと織りのシャツを着る日と決めた。

みいと織りで作られたオリジナルシャツ、明和町職員の制服に


 同町は、古代から平安時代に天皇に代わって伊勢神宮に奉仕する斎王(さいおう)が住んでいたとされる斎宮(さいくう)跡が残る。松阪市と伊勢市に挟まれた位置にあり、伊勢神宮125社に数えられる内宮の所管社「神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)」(松阪市大垣内町)、「神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)」(松阪市井口中町)は行政区は松阪市になるが、昔から神宮との関わりが深い地域。江戸時代には、三井財閥を築いた「三越(越後屋)」(東京都中央区)の創始者・三井高利、今の「松坂屋」(愛知県名古屋市)の名前の由来になった上野で開いた松坂屋の創始者・太田利兵衛は共に伊勢商人(松坂商人)で、江戸で松阪木綿の販売をきっかけに成長していった。

 明和町は、2013年3月の議会で「みいと織り」のPRを目的に一般会計から135万円を予算化(シャツ139着分=125.1万円)、町政55周年記念も兼ねた。かつて1000近くあった松阪木綿の織物工場は現在、手織りする数社と機械織り生産する1875(明治8)年創業の「御絲織物(みいとおりもの)」(明和町養川、TEL 0596-55-2217)1社のみ。

 みいと織りは、鮮やかな藍色と縦縞が特徴で江戸時代に一世風靡(ふうび)したファッションだったがライフスタイルが、和服から洋服へとシフトしたことが原因で衰退していった。今回の取り組みを中井幸充明和町町長は「松阪木綿、実は『みいと織り』なんです」と生産地=明和町をさりげなくPRしながら、さらに松阪木綿の消費拡大につなげようとする。

 制服は、男性用に3種類、女性用に6種類の柄を用意。デザイン、縫製などについては両者で協議しながらオリジナルを作った。同町の斎宮跡・文化観光課文化観光係の小山隆伯さんは「役場の職員が着用しているものと同じデザインのものがご希望であれば、御絲織物へ直接問い合わせてもらえれば。1着約14,000円(注文生産になるので、納品までに時間がかかる)」と説明する。

 みいと織りの商品が購入できるところは現在、斎宮歴史博物館横「あざふるさと」、いつきのみや歴史体験館横「いつき茶屋」。「今後、このシャツを各イベントや行事で、町長、議会議員、職員が積極的に着用することで、さらなるPRをしていきたい」とも。

ソース(伊勢志摩経済新聞)

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伊勢神宮「おかげ横丁」20周年 「もてなす心」にぎわいの源

江戸・明治期の町並みを再現した三重県伊勢市の
伊勢神宮内宮(ないくう)前の集客施設
「おかげ横丁」が十六日、開業二十周年を迎えた。
式年遷宮を十月に控えた今年の来場者は一~六月で
前年同期比七十万人増の三百十万人。
年間過去最多だった昨年の四百五十万人を超える勢いだ。
おかげ横丁は約八百メートルにわたる内宮参道沿いの
「おはらい町」の中央にある。
一九九三年の前回遷宮に合わせ、地元の老舗和菓子店「赤福」が
当時の年間売上高に匹敵する百四十億円を投じて建設。
一万三千平方メートルに地元の海山の幸や伊勢うどん、酒、駄菓子、
和雑貨などの店を、伊勢の伝統的な木造建築で再現した。
年間来場者は開業翌年の二百万人から右肩上がりで、店舗数は
三十から五十六に増えた。
「品質の良い物を安く売る。奇をてらわない伊勢の住人らしさが
受け入れられた」。
横丁の創業者で赤福の浜田益嗣会長(76)はこう分析する。
浜田さんを突き動かした背景に、おはらい町の衰退があった。
江戸期の「おかげ参り」で知られた町は、マイカー型の観光が
定着した昭和六十年代に年間約二十万人の往来しかなかった。
内宮まで来て、町には寄らず帰る参拝者が多かった。
おはらい町の住民も「伊勢らしく参拝者をもてなしたい」と
古い町並みの再現へと動いていた。
八九年に伊勢市まちなみ保全条例ができると、電柱の移設や
石畳への舗装が進んだ。
日本の季節感を大事にしようと、二十四節気や雑節、七夕などの
年中行事に合わせた催しを展開。
接客する従業員には伊勢弁で親しみを込めて話をすることなども
徹底した。
遷宮を節目として新たな時代を迎える伊勢の町。
今後の二十年を浜田さんは「戦後の日本は知恵だけで町をつくってきた。
伊勢は住人の情感を大切にしてつくっていきたい」と話す。
ソース(東京新聞)

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伊勢神宮「おかげ横丁」20周年 「もてなす心」にぎわいの源

江戸・明治期の町並みを再現した三重県伊勢市の
伊勢神宮内宮(ないくう)前の集客施設
「おかげ横丁」が十六日、開業二十周年を迎えた。
式年遷宮を十月に控えた今年の来場者は一~六月で
前年同期比七十万人増の三百十万人。
年間過去最多だった昨年の四百五十万人を超える勢いだ。
おかげ横丁は約八百メートルにわたる内宮参道沿いの
「おはらい町」の中央にある。
一九九三年の前回遷宮に合わせ、地元の老舗和菓子店「赤福」が
当時の年間売上高に匹敵する百四十億円を投じて建設。
一万三千平方メートルに地元の海山の幸や伊勢うどん、酒、駄菓子、
和雑貨などの店を、伊勢の伝統的な木造建築で再現した。
年間来場者は開業翌年の二百万人から右肩上がりで、店舗数は
三十から五十六に増えた。
「品質の良い物を安く売る。奇をてらわない伊勢の住人らしさが
受け入れられた」。
横丁の創業者で赤福の浜田益嗣会長(76)はこう分析する。
浜田さんを突き動かした背景に、おはらい町の衰退があった。
江戸期の「おかげ参り」で知られた町は、マイカー型の観光が
定着した昭和六十年代に年間約二十万人の往来しかなかった。
内宮まで来て、町には寄らず帰る参拝者が多かった。
おはらい町の住民も「伊勢らしく参拝者をもてなしたい」と
古い町並みの再現へと動いていた。
八九年に伊勢市まちなみ保全条例ができると、電柱の移設や
石畳への舗装が進んだ。
日本の季節感を大事にしようと、二十四節気や雑節、七夕などの
年中行事に合わせた催しを展開。
接客する従業員には伊勢弁で親しみを込めて話をすることなども
徹底した。
遷宮を節目として新たな時代を迎える伊勢の町。
今後の二十年を浜田さんは「戦後の日本は知恵だけで町をつくってきた。
伊勢は住人の情感を大切にしてつくっていきたい」と話す。
ソース(東京新聞)

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プロフィール

HN:
伊勢乃志摩男
性別:
非公開

P R