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御食国(みけつくに)志摩の国

御食国(みけつくに)は、日本古代から平安時代まで、贄(にえ)の貢進国、
すなわち皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を
貢いだと推定される国を指す言葉。
律令制のもと租・庸・調の税が各国に課せられたが、これとは別に贄の納付が
定められていたと考えられる。
『万葉集』にある郷土礼讃の歌に散見され、『延喜式』の贄の貢進国の記述、
平城京跡から出土した木簡の記述などから、若狭国・志摩国・淡路国などへの
該当が推定されている。


志摩国は『延喜式』によると、志摩国は10日毎に「鮮鰒(なまのあわび)、さざえ、蒸鰒(むしあわび)」を納めることが定められていた。また節日ごとに「雑鮮の味物」の献上も定められていた。
平城京跡から発見された木簡[3]に「志摩国志摩郡」の表記が見られ、当初は志摩国は一国一郡であったと推定される。その後の『延喜式』では答志郡、英虞郡の二郡である。田畑はわずかで、口分田として尾張国、伊勢国にあった田が志摩国に割当てられている。先に述べた若狭と同様にこのような小国の成立は、小島が点在した地理的条件とともに、政治・宗教的な特殊事情があったと推定される。
以下でも述べるように、志摩国と内膳司を支配していた高橋氏との間に特殊な関係を指摘する意見がある。また平城京の木簡からは志摩国の贄を納めた氏族として大伴部の名前が多く見つかっている。

以上ウキペディア参照です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%A3%9F%E5%9B%BD 

志摩国と若狭国と淡路国の3国が御食国(みけつくに)と言われている。

10日毎にあわびやらさざえやら昔の人々の神に対する従順な気持ちや
またそれだけ海の幸の豊富さなどいにしえの方かだの気持ちにもなれたような
感じです。

志摩の国に生まれて光栄な気持ちになりました!!






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