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伊勢志摩宿泊観光イベントニュース

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三重テラス28日オープン 福助さんらゲストに

鈴木英敬知事は二十五日の定例記者会見で、
二十八日午後三時、東京・日本橋に開設する首都圏営業拠点
「三重テラス」のオープニングイベントの概要を発表した。
特別ゲストとして、歌舞伎俳優の中村福助さんと
バドミントン北京五輪代表の小椋久美子さん、
元車いすランナーでロンドンパラリンピック銀メダリストの
伊藤智也さんが駆け付ける。
小椋さん、伊藤さんは県出身。
オープンに先立ち、関係者らを招いてセレモニーを開催。
セレモニーは、今年の斎王まつりで第二十九代斎王役を
務めた古川みゆきさん=四日市市=の宣言で幕開けし、
鈴木知事とゲストが「日本橋と三重」をテーマにトークする。
司会は四日市市出身の女優・加藤ゆりさんが務める。
午後三時からのテープカットとフォトセッションは、
一般客も観覧可能。テープカットの後、知事とゲストが店頭で出迎える。
特別ゲストに中村さんを選んだことについて、鈴木知事は会見で
「東海道出発点の日本橋は、三重県にとって始まりの場所。
日本の伝統の格式を守りながら日本橋と三重をつないで、
『始まり』や『スタート』というメッセージを出せる方」と話した。
一方、三重テラス開館後の評価指標については、
「県議会の今会議の常任委員会で、目標を説明する。
来館者数などを掲げている」との説明にとどめた。
ソース(伊勢新聞)

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鳥羽「へい死少なく実入り良い」「浦村かき」初出荷

三重県内養殖カキ生産量の三分の二を占める鳥羽市浦村町で二十五日、
「浦村かき」の初出荷があった。
浦村かきは、毎年十―十一月に種カキが付着したホタテ貝にロープを通し、
いかだに垂下して生育され、翌年の九月から一年ものとして出荷している。
鳥羽磯部漁協浦村支所に所属する七十七軒の養殖業者でつくる
「浦村かき組合」では、生浦(おうのうら)湾に一千二百五十台の
いかだを設置している。
組合員らはこの日、二十四日に初水揚げしたカキを紫外線で滅菌した
海水で浄化し、むき身にして出荷した。
初日から三日間はむき身に限定し、一軒当たり出荷量を十キロに
制限して関西や中京圏内に出荷する。
二十九日からは殻付きカキの出荷も始まる。
同組合の中村忠夫組合長(54)は「夏の猛暑で雨が少なく、
水温が高かったので心配したが、実入りも良い。へい死も少なかった」と、
生育状況を喜んだ。
ソース(伊勢新聞)

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伊勢市 神宮参拝者数、過去最高に 年間予測、1330万に上方修正

伊勢市は、今年の伊勢神宮の年間参拝者数の予測値を、
昨年十二月に推定した一千六十万人から、
一千三百三十一万五千人(内宮八百五十九万二千人、外宮四百七十二万三千人)に
上方修正した。
同日、開かれた市議会産業建設常任委員協議会で報告した。
市は、前年や前回の神宮式年遷宮があった二十年前の実績などから
一千六十万人と予測していた。
だが、今年八月末までの実数で前年同期比142・2%
(内宮同134・0%、外宮同160・1%)と予想以上の伸びとなり、
九月以降の予測を見直した。
今月十五日には、明治二十九年の統計開始以来、最高だった
平成二十二年の八百八十二万八千人を更新したという。
一方、同協議会では、品川幸久議員(新風いせ)が、
市が伊勢神宮の参拝者数を観光客数として扱っていることに疑問を呈した。
内宮と外宮の両方を訪れた人を二人と数え、お白石持(しらいちもち)行事などで
何度も参拝した地元住民も含むのが理由。
品川議員は、
「当該課としては、本当の観光入り込み客数をしっかり把握しないと」と、
観光部局に注文した。
ソース(伊勢新聞)

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藩政期のお宝史料、数千点 御浜の「裏の屋敷」

御浜町教委が管理する同町上市木の旧宅、通称「裏の屋敷」が、
古文書の宝庫として注目を集めている。
三重大の教員と熊野市の歴史愛好家らが今月調査し、
藩政期以降の史料数千点を確認した。
東紀州地域で屈指の分量があり、紀南地方の文化史再考につながると
期待される。
裏の屋敷は、市木地区の旧家で医師をしていた榎本家の旧宅。
子孫は都市部に移住したため、建物と収蔵する古文書は町に寄贈された。
解読を続けてきた同町尾呂志地区の郷土史家が近年亡くなった後、
手つかずの状態となり、町教委が三重大人文学部の塚本明教授と
熊野市の熊野古文書同好会に調査を依頼した。
市木地区などは、藩政期は新宮藩領に属し、藩が村々に年貢や
務めを課した際の文書や御触書、自然災害時の救済や復旧に関する
文献が屋敷に残っていた。
江戸幕府成立直後の一六〇四(慶長九)年に作成された
検地帳(土地測量台帳)をはじめ、三百~四百年前の古文書もあった。
紀伊半島南部で女性の巡礼者が死亡した際、
夫が村に届け出て埋葬をしたことなど、熊野古道と
住民の交流をうかがわせる史料も多い。
山や漁場をめぐる近隣の村との争いや寺社の建造、
祭礼に関わる文書もあり、近世、近代の民衆の暮らしに
迫ることができる。
塚本教授は「質、量ともに優れた古文書が多い。
御浜町の隠れた歴史と文化を明らかにする可能性を秘めており、
今後も学術的な調査と整理作業が必要だ」と話している。
町教委は今後、塚本教授らの助言を受けて、整理を進める方針だ。
ソース(中日新聞)

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新旧並び歳月実感 伊勢神宮、上空を公開

一面の緑に覆われた神域で、まばゆい輝きを放つ社殿。
まったく同じ造りながら、趣の異なる新旧社殿が並び立ち、
二十年の時を伝えてくれる。
伊勢市の伊勢神宮で来月初めにクライマックスを迎える式年遷宮に向け、
新社殿の上空からの様子が報道陣に初公開された。
内宮、外宮とも現在の社殿の西隣に新しい社殿が完成し、
二十年に一度の姿が披露された。
社殿は唯一神明造と呼ばれる古代の建築様式で、
弥生時代の高床倉庫に由来する。掘立柱(ほったてばしら)に、
かやぶき屋根が主な特徴。

$伊勢乃志摩男乃日替瓦版
写真=中日新聞
(上)20年に1度の式年遷宮で建て替えられた、
伊勢神宮内宮の新社殿(左)と現社殿 (下)同様に建て替えられた
伊勢神宮外宮の新社殿(左)と現社殿=伊勢市で、本社ヘリ「あさづる」から

柱や部材のヒノキは表面に塗装を施さないため、
風雨に長くさらされていない新社殿は、優美な光沢を帯びている。
四重の垣に囲まれた敷地の中央にあるのが、ご神体を納める正殿。
神宮社殿の中で内宮外宮の正殿が最も大きく、
樹齢二百年を超す巨木を柱に使い、高さは十二メートルを超す。
各所に装飾金具があしらわれ、神様の住居にふさわしい荘厳な
たたずまいを醸し出す。
八年がかりの準備はすべて調い、あとは神様を新正殿に
お迎えする夜を待つばかり。
その遷御は内宮は来月二日、外宮は五日に営まれる。
六十二回目となる今回の式年遷宮も、いよいよ佳境だ。

◆伊勢市、観光客1330万人見込む
伊勢市は二十五日の市議会産業建設委員協議会で、
今年一年間の市への観光入り込み客数を千三百三十一万五千人と
する予測値を明らかにした。
市では伊勢神宮の参拝者数を観光入り込み客数として数えている。
市は一九五三(昭和二十八)年の第五十九回から九三年の
六十一回までの伊勢神宮式年遷宮の年と、その一、二年前と
比較した参拝者数の伸び率や、遷宮関連のお白石持(しらいしもち)行事の
影響などを参考にして、昨年十二月に今年の予測値を一千六十万人としていた。
しかし一~八月は実数が当初予測を約百三十万人上回り、
九月中に神宮参拝者数が九百万人を突破したことから、予測値を修正した。
 修正では一~八月は参拝者実数の八百三十五万三千六百十人を当てはめた。
九~十二月は当初予測をベースに六~八月の実数との差の率の分を
加算して計算。
当初より百四十万人増の四百九十六万一千人に上方修正した。
ソース(中日新聞)

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