「笑門(しょうもん)」
「蘇民将来子孫家之門(そみんしょうらいしそんけのもん)」など

独特の守り札を付けた伊勢志摩伝統のしめ飾り作りが、
新年に向け、玉城町中角(なかつの)、
しめ縄製造業角谷(かどや)泰さん(69)宅で
最盛期を迎えている。
伊勢志摩の民家では、無病息災や家内安全などを
願って守り札付きのしめ飾りを一年を通じて玄関に掛ける。
「蘇民将来子孫家之門」は神様を泊めた家が栄えた民話にちなみ、
「笑門」は「蘇民将来子孫家之門」を縮めた「将門」から
きたとの説がある。
角谷さん宅は伊勢志摩の正月用のしめ飾りの多くを賄う。
今年は九月下旬から作業を始め、師走に入ってからは多い日は家族、
パートら五十人が当たっている。
稲わらを編み上げ、守り札やダイダイの実を付ける作業に追われている。
今年は守り札付きは一万五千本、
その他を含め計二万七千本を大みそかまでに用意する。
「質素な飾りだが、平穏な一年になるよう心を込めている」と角谷さん。
しめ飾りはおはらいをして出荷し、直売所などに並ぶ。
ソース(中日新聞)
三重のおはなしより伊勢周辺の家々では、「蘇民将来子孫家門」と書かれた木札を
付けた注連縄を見かけます。
この風習は、心やさしい蘇民将来のお話からはじまったものだと
言われています。
伊勢の町を歩くとな、家の軒先(のきさき)に
「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)」と
書いた札がしめなわに吊(つ)り下がっているのを見たことがあるやろ。
その門符(もんぷ)にはこんな話があるんや。
むかし、牛頭天王(こずてんのう)がお嫁(よめ)さんをさがしに
竜宮城(りゅうぐうじょう)へ出かけられた時のことや。
歩きながら、泊(と)めてもらうところを探(さが)しておるとな、
森の中にたいそう立派(りっぱ)な一軒(けん)の家を見つけたんや。
その家に住むのはこのあたりで一番の長者、巨旦(こたん)やった。
牛頭天王はさっそく、戸をたたいて頼んだそうや。
「旅のものですが、疲(つか)れ果(は)てて歩くことができません。
一晩(ばん)だけ泊めていただけませぬか」
巨旦は、貧(まず)しそうな身なりをした牛頭天王を見て、
「うちは貧しいから泊められへん」
「そのようなことをおっしゃらずに、一晩だけでも」
と何度も頼んだにも関(かか)わらず、とうとう泊めたらへんだんや。
牛頭天王は困(こま)りはて、ふるえながら今度は
蘇民将来(そみんしょうらい)の家の戸をたたいた。
わけを話すと、蘇民は
「それはそれは遠いところから大変やったなあ。
わが家は見てのとおり汚(きたな)い家やけど、
よかったら泊まってってください」
と快く招(まね)き、粟(あわ)を出して親切にもてなしたそうや。
次の日、出発する前に牛頭天王は泊めてもらったお礼に、
宝物(たからもの)の玉を蘇民に渡したんや。
この玉(たま)はな、心のやさしい人が持つと
お金がたまるものとされておった。
その後、牛頭天王は竜宮城に着いてお嫁さんをもらい、
八人の王子のお父さんになってな、八年ぐらいたったある日、
自分の生まれた国に帰ることにしたんや。
途中(とちゅう)、また蘇民の家に泊まると、
心やさしい蘇民は長者(ちょうじゃ)になっておった。
それをうらやましく思った巨旦は、牛頭天王を家に泊めようとしたんやけど、
意地悪な性格は変わらんだもんでな、
逆に次々と悪いことばっかりが起こったんや。
一方、蘇民はいつまでも幸せに過ごしたんやと。
牛頭天王という人はな、悪いことを追い払(はら)う神様やったんや。
それからな、代々蘇民の家の人たちは、このとき牛頭天王が
言われたように、「蘇民将来」と書いた木を身につけておったんや。
それがお守りとなってな、幸せに暮(く)らしたと言われておるんじゃと。
今でもこの辺の人はな、悪いことを追い払ってくれるお守りとして、
この木の札を家の玄関口のしめなわに取り付けておるんや。
用語説明蘇民将来伝説(そみんしょうらいでんせつ)二見町だけでなく、牛頭天王(ごずてんのう)を祀(まつ)る
津島神社(愛知県津島市)や島根県佐田町にも同様の伝説がある。
門符しめなわにつける木礼
牛頭天王京都祇園社(八坂神社)の祭神。疫病(えきびょう)よけの神として
信仰(しんこう)されている。
数多い民話の伝承では、牛頭天王はスサノオノミコトと同じ人物であると
言われている。
スサノオノミコト(須佐之男命)日本神話の神。
イザナギノミコトとイザナミノミコトの子。
アマテラスオオミカミの弟。
三重のおはなしより引用
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