忍者ブログ

伊勢志摩宿泊観光イベントニュース

三重県伊勢志摩地域中心にWeb作成の仕事をしています!伊勢志摩のイベント観光情報や宿泊情報、飲食店情報などを主につぶやいています!

伊勢市内の人気宿 伊勢二見の人気宿 鳥羽市の人気宿 鳥羽離島の人気宿
南鳥羽の人気宿 志摩市の人気宿 御座白浜の人気宿 南伊勢の人気宿

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

伊勢神宮の謎‐作家 高田崇史

薬剤師主人公が歴史の闇に疑義照会

作家 高田崇史
明けましておめでとうございます。
大学を卒業して薬剤師となって三十余年。
そして、作家デビューして十五年。
相変わらず畑違いの分野で、主に薬剤師たちが主人公の
歴史ミステリなどを書いています。
ぼくも長い間、OTCや調剤のカウンターに立ってきましたが、
実はミステリなどの謎解きは、患者さんと相対している状況と、
非常に似通っているのです。
特に漢方は、それが顕著です。
まず患者さんを望診して、尋ねて、陰陽、表裏、虚実、寒熱を慮り、
その病を特定していくわけです。
そしてその本人も含め、通常の人であればあっさりと
見落としてしまうようなほんの小さな疑問点から、
その裏に潜んでいた大きな病を発見するというようなことは、
どなたも経験なさっていることと思います。
事実(?)ぼくの小説では「乳棒が調剤台から転がり落ちた」とか
「部屋に入った途端に、顔が赤くなってしまった」などという
些末な出来事が、事件を解決するヒントになったというような
ミステリも書きました。
これらも、ほんの小さな鍵が壮大な謎に繋がって行くという
ストーリーなのですが、今回はお正月ということで、伊勢神宮のお話など。
謎が謎呼ぶまさに洪水
すでに皆様も初詣に行かれたことと思いますが、
初詣といえばやはり神社。
そして神社といえば、シンプルな「神宮」という呼び名が
正式名称の伊勢神宮でしょう。
去年、伊勢神宮では二十年に一度の遷宮が執り行われました。
正殿や御垣内(みかきうち)の建物を全て新造し、
さらに装束や神宝までも新しくするという、大変な行事です。
しかもこの行事は遙か昔、持統天皇四年(六九〇)から
延々と続いているというのですから、想像を絶するような
歴史をもっています。
ちなみに去年(平成二十五年)の式年遷宮は、第六十二回でした。
このように、古い歴史を持つ伊勢神宮ですが、
実は大変多くの謎を秘めています。
いや、古い歴史を持つ神社であれば当然いくつかの謎は持っていますし、
それが「深秘(じんぴ)」となって、神社の歴史に彩りを与えてくれます。
しかし、伊勢神宮に関してその謎を追って行くと、
歴史の彩りなどというレベルの話ではなく、
謎の洪水に溺れてしまいそうになるのです。
その上、「一般には謎と認識されていない謎」まで出てくるので、
全く収拾がつかなくなってしまいます。
伊勢白粉は梅毒に効く?
江戸時代からの隠語で「伊勢参り」という言葉がありました。
これは何を表していたのかといえば「駆け落ちする」ということでした。
また「伊勢にする」という隠語は「なかったことにする」という意味でした。
皇室の祖神である天照大神を祀っているはずの伊勢神宮が、
なぜこのような隠語になったのでしょうか。
そもそも「猫も杓子も伊勢参り」といわれるほど、
江戸時代には伊勢参りが盛んになったわけですが、
果たして当時の人々はそれほどまで信心深かったのでしょうか。
実を言えばこれはあくまでも表向きの理由で、
当時伊勢は「日本三大遊郭」の一つに数えられていました。
しかもそこには、当時としては画期的なことに「女性向けの遊郭」も
あったといいます。
また「伊勢白粉は、梅毒に効く」と言われ、伊勢参りに出かけた
大勢の参拝客が買い求めたとも伝えられています。
しかしどう考えてみても、水銀を主成分として作られた「伊勢白粉」が
梅毒に効くはずもありません。
では、どうしてそんな評判が立ったのでしょうか。
この紙面では書ききれませんが、実はこれもきちんとした裏付けがあるのです。
秘められた壮大な謎
今回は紙面の都合もありますので、ほんのさわりだけですが、
そんな伊勢神宮にまつわる「謎」を、いくつかご紹介してみたいと思います。
現在では殆どの観光客が「内宮(ないくう)」から「おかげ横丁」
そして「外宮(げくう)」へとまわっているようです。
また、「おかげ横丁」で食べて遊んでから、ちょっとだけ「内宮」を
拝んで帰るという無茶苦茶な人たちもいると地元の人から聞きました。
しかし伊勢神宮には、正式な参拝の順序があります。
それは「二見興玉(ふたみおきたま)神社」──「外宮」──「内宮」です。
昔は、伊勢の地に到着したら神宮参拝前に、まず「二見興玉神社」に
詣でるのが習わしでした。
海の上に並んで頭を出した大小の夫婦岩(めおといわ)に、
太い注連縄が渡された写真をご覧になったことがあるでしょう。
あの神社です。
この場所は伊勢神宮の東北──鬼門に位置していて、
以前には誰もがここで禊ぎを行ってから、改めて伊勢神宮参拝に
出発したのです。
ところが、この神社の主祭神は天照大神と全く関係のなさそうな、
猿田彦命(さるたひこのみこと)なのです。
天狗のモデルといわれている神様で、日本神話でも余り重要視されていません。
それなのに、神宮参拝者はなぜ、最初にこの神社をお参りしなくてはならないのでしょうか?
次にお参りするのは、天照大神が祀られている「内宮」ではなくて、
天照大神の食事を司るといわれている豊受大神(とようけのおおかみ)が
祀られている「外宮」です。
こちらの「外宮」は「内宮」よりも、約五百年も後になってから
建てられたといわれているのですから、古い神社である「内宮」から
お参りするのが常識のはずですが、しかし現実は全く逆で、
今も重要なお祭りは「外宮先祭(げくうせんさい)」といって、
こちらから先に行われています。
ちなみに、こちらの「外宮」の造りは「男神」を祀る形式になっています。
しかし豊受大神は間違いなく「女神」なのです。これは一体、どういうことなのでしょう?
そこには、男の神様が一緒にいらっしゃるというのでしょうか。
これらの理由も、謎のままです。
最後に「内宮」ですが、こちらはご存じのように、
天皇家の祖神である天照大神が祀られています。
ところが天照大神は、この地に落ち着かれるまで、
六十年とも九十年ともいわれる間で、なんと二十四ヵ所にも及ぶ土地を
転々とされているのです。
そして、その長い流浪の旅の果てに、ようやく現在の地に落ち着かれました。
しかも、落ち着かれるに際して、ここは「黄泉の国からの波が押し寄せてくる」
つまり、この先はあの世に通じる海で、もうこれ以上先へは行かれない、
とまでおっしゃっているのです。
では、なぜ天照大神がそのような目に遭われてしまったのかといえば、
崇神天皇六年に、大国主命ともども皇居から追放されてしまったからです。
そのために安住の地を求めて、各地を転々とされたのです。
しかし、天皇家の始祖であるはずの天照大神が、
皇居から追放されたという話はおかしくないでしょうか。
実際にその後、現在に至るまで、皇室の祖神として祀られ
続けているわけですから。

いかがでしょうか。
これでもまだ「伊勢神宮の謎」のほんの入り口で、
これら数々の謎の裏側には、実に壮大な日本の謎が隠されているのです。
そして先ほど書いた「伊勢白粉が梅毒に効く」という迷信のような言い伝えにも、
ここまで論理的だったのかと唸ってしまうような理由があったのです。

ご興味がおありの方は、拙著『QED 伊勢の曙光 (講談社文庫)』(講談社)を
手に取っていただければ幸甚です。
これからもまた、薬剤師や毒草などの生薬を絡めて、
歴史の謎を追うような、一般のミステリとは少し違った作品を
書き続けたいと思っています。

高田崇史(たかだ・たかふみ)
 作家、昭和33年東京都生まれ。
明治薬科大学卒。『QED 百人一首の呪 (講談社文庫)』(講談社ノベルス)で
第9回メフィスト賞を受賞しデビュー以来、「QED」シリーズ、
「カンナ」シリーズで歴史の闇の謎解きと推理小説を融合させた
独自のスタイルを確立し、「鬼神伝」シリーズ(2011年アニメ映画化)など
講談社、幻冬舎などから次々に作品が発行されている。
近作に『軍神の血脈 ~楠木正成秘伝~』(講談社)

この記事は、薬事日報2014年1月1日特集号‐新春随想‐に掲載された記事です。

拍手[0回]

PR

関空、 伊勢神宮と出雲大社の遷宮写真展「神の宮」を開催へ

関西国際空港で2014年1月7日(火)から1月20日(月)まで、
「『神の宮』増浦行仁写真展」が開催されます。
この写真展は、伊勢神宮と出雲大社の両遷宮を
追い続けた唯一の写真家、増浦行仁さんが
7年間かけて撮影してきた神事を、史上初めて同時に公開するもの。
日本の文化、自然の恩恵、神々への感謝と共に常若と蘇りの文化を
伝えてきた遷宮を、関西国際空港から世界に向けて発信するイベントです。
関西国際空港1階のウエルカムボードでは映像、
2階のKIXギャラリー、
4階の翼の広場で写真作品により紹介します。
なお、1月10日(金)の14時から17時に増浦行仁さんが
来場する予定となっています。
期日: 2014/01/07 ~ 2014/01/20

ソース(FlyTeam ニュース)

拍手[0回]

伊勢神宮、明治神宮と皇室 その"神格化"はいかになされたか?

今年第62回式年遷宮を迎えた伊勢神宮、60年ぶりの「平成の大遷宮」を無事終えた出雲大社、そして、あと10年もせずに創建100年を迎える明治神宮。こうした神社は昨今のスピリチュアル・ブームを受け若い女性などに人気の観光スポットとなっているが、これらの神社がまとっている「神々しさ」は、いつ、どのように始まったのか? その歴史を追う!


(写真/江森康之)

 伊勢神宮と出雲大社という日本の神道を代表する2つの神社が、それぞれ20年、60年ごとに建物を建て替えご神体を遷す「式年遷宮」と呼ばれる儀式が同一年内に行われるという巡り合わせに、多くの人々が沸いた2013年。特に、12年には「せんぐう館」を新設、13年8月には内宮参集殿で藤井フミヤがコンサートを行い遷宮イメージソング「鎮守の里」を熱唱するなど、これまでにない規模でこの式年遷宮の広報活動を繰り広げてきた伊勢神宮の参拝者数は激増。若い女性や子ども連れの姿も多く見られるようになり、その年間参拝者数は史上最高となる1000万人を超える勢いであるという。遷宮という一大イベントを機に、いま再び大きな注目を集めるようになった神社神道。「日本人の『こころ』のふるさとが変わることなくここにあります」とは伊勢神宮の公式HPにある言葉だが、天皇家とのゆかりも含めた"正統性"、あるいは不浄の場所としての"神聖性"――我々が漠然と抱いているこうしたイメージは、はたして"悠久の昔"より、変わらずそこにあり続けたのだろうか?

 三重県伊勢市にある伊勢神宮は、正式名称は「伊勢」のない「神宮」、8万以上ともいわれる全国各地の神社を統括する宗教法人・神社本庁の「本宗(ほんそう)」である(神社本庁の事務所自体の所在は東京都渋谷区内、明治神宮の隣)。物理的には大きく「内宮(ないくう)」と「外宮(げくう)」に分かれ、その総面積は5500ヘクタール、伊勢市のおよそ3分の1を占めるという。よく誤解されるが、この内宮と外宮は隣り合ってはおらず5キロほど離れており、歩いて行くにはちとつらい。それぞれの宮域内には中心となる正殿以外にもいくつかの別宮が点在し、観光写真でよく見かけるほうの正殿や宇治橋が存在するのは内宮のほうで、観光地的な"派手さ"は外宮にはない(正式な参拝順としては、外宮→内宮が正しい)。

『古事記』や『日本書紀』によると、伊勢神宮の創建は紀元前にさかのぼるというが、歴史学的には天皇の実在が疑われる時代の話であり、伝説にすぎない。それが、一応今日と同じく、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(外宮)という2つの正殿からなる形となり、皇室の氏神を祀る神社としての地位を確立したのは7世紀後半の天武天皇の頃とされている。そして、その後を継いだ持統天皇の代より20年に一度の式年遷宮がスタートする。しかし、やがて政治の実権が公家や武士に移っていくなか、戦国時代には伊勢神宮も経済的に困窮し、内宮では1462年から123年、外宮では1434年から129年もの間、遷宮は中断していたという。その後、伊勢の慶光院という寺の尼僧の尽力のもと、織田信長、その遺志を継いだ豊臣秀吉らの協力を得て、1585年に遷宮が復活。以降、再び20年ごとに遷宮が行われるようになった。

 一方、『古事記』『日本書紀』、そして『出雲国風土記』のなかに登場するも、伊勢以上にその起源が謎に包まれている出雲大社は、1872年に改称されるまでは杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれ、全国というよりも、むしろ地域で勢力を持った神仏習合色の強い神社であったという。いまでこそ大国主大神を祀った神社として知られる出雲だが、中世から近世にかけては素戔男尊(すさのおのみこと)を祭神とするなど、そのあり方は時代と共に変遷している(その後、『記紀』の記述に従って、再び大国主大神に改められた)。中世には約48メートルの高さを持つ高層建築だったという出雲の本殿が、現在の形になったのは17世紀初頭。以降、およそ60年を目安として、大規模な修繕が行われるようになったという。ここで注意したいのは、社殿自体を建て替える伊勢に対して、出雲の遷宮は大屋根の葺き替えや修理を行うだけで、本殿そのものを建て替えるわけではないということだ。ちなみに、旧暦10月の神在月には、全国から八百万の神が集まり、縁結びの相談をするという伝説を持つ出雲大社は、江戸期より"縁結び"の神としても親しまれ、今日では結婚式事業にも積極的に参入している。

ソース(サイゾーpremium)

拍手[0回]

最新ガイドブック「いま行く!伊勢神宮お参りパーフェクトブック」

伊勢神宮とその周辺の最新情報を載せたガイドブック
「いま行く!伊勢神宮お参りパーフェクトブック」(みらい出版)が
12月10日、全国のファミリーマートで販売された。

いま行く!伊勢神宮お参りパーフェクトブック


同書は、「今、伊勢神宮へ行く本当の理由」
「ちょっと上をいく参拝方法 伊勢神宮へ参拝しよう!」
「おはらい町&おかげ横丁がスゴイ!」の
3章から成る全カラー107ページ。

1章では伊勢市在住の地元を愛する女性18人に直接インタビューし、
神宮の中の好きなスポットやさらに良いところを聞き出し紹介する。

2章では内宮(ないくう)、外宮(げくう)の詳しい情報はもちろん、
伊勢神宮別宮の魅力もわかりやすくピックアップ。
さらに参拝マナーや、神楽の奉納の仕方などもイラスト入りで説明、
神楽をあげる際に奉納者が後ろから見なければいけない理由なども言及する。

3章では地元ライターがお薦めするおはらい町の飲食店の
メニューや土産物などを紹介。

写真は、伊勢神宮を撮り続ける写真家のKanKanさんと
地元出身の加藤直人さんが担当。
昨年10月に執り行われた遷宮の祭典の様子なども取り込んだ。

いま行く!伊勢神宮お参りパーフェクトブック

価格は819円。

ソース(伊勢志摩経済新聞)

拍手[0回]

伊勢神宮参拝、三が日で61万人 予測ほど伸びず

伊勢市の伊勢神宮は四日、内宮と外宮を合わせた正月三が日の
参拝者数を六十一万三千七百八十七人と発表した。
昨年十月の式年遷宮後初の正月で八十万人との予測もあったが、
前年比で五万七千二百六十五人(10・2%)増と
予測ほどには伸びなかった。


新年を迎え新しい社殿に参拝する人たち=伊勢市の伊勢神宮内宮で
写真=中日新聞

内宮は四十一万千百九十二人で前年比6・9%の増。
外宮は二十万二千五百九十五人で前年比17・7%増えた。
三が日の参拝者数は二〇〇九年の六十七万九千人から
一二年の五十二万三千人まで減少傾向にあったが、
昨年に五十五万六千人と増加に転じた。
今年は四、五日も連休が続くため、混雑を避けようと
参拝者が分散した可能性もある。
昨年一年間の参拝者数もまとまり、
両宮では、一八九五(明治二十八)年から残る統計史上最多の
千四百二十万四千八百十六人で前年比76・8%の増加。
内宮の八百八十四万九千七百三十八人(前年比60・5%増)、
外宮の五百三十五万五千七十八人(同112・7%増)も、
ともに統計史上最多を記録した。
ソース(中日新聞)

拍手[0回]

プロフィール

HN:
伊勢乃志摩男
性別:
非公開

P R