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伊勢市の伊勢神宮の神宮祭主の補佐役として臨時神宮祭主に就任した天皇陛下の長女で、元皇族の黒田清子さん(43)。神宮司庁などによると、黒田さんは二〇〇五年に結婚して皇籍を離れるまでに伊勢神宮を三回参拝するなど伊勢志摩地域にもたびたび訪れている。
黒田さんは一九七八(昭和五十三)年、皇后陛下(当時・皇太子妃殿下)とともに外宮と内宮を初めて参拝し、鳥羽市のミキモト真珠島も訪問。高校時代の八六年には、学友二百人とともに内宮を参拝した。
成年皇族としては九三年に、前回の遷宮の進展を視察するために外宮と内宮を訪れ、市内の神宮徴古館や明和町の斎宮歴史博物館などを見学。
斎宮歴史博物館の当時の博物館報によると、終始笑顔を絶やさず、天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた皇女「斎王」に興味津々の様子で館長らの説明に耳を傾けていたという。
神宮司庁によると、臨時神宮祭主は、陛下の姉の故鷹司和子さんが、前々回の遷宮を控えた一九七三(昭和四十八)年三月から約一年半就いたことがあり、故鷹司さんはその後、神宮祭主に就任した。
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20120508/CK2012050802000027.html
伊勢志摩地域の海で海産物などを捕る海女の人数が、過去四十年間で四分の一に激減したことが県教委による初の「海女習俗調査」で分かった。一九七二年の民間団体の調査では、同地域の海女は四千百二十四人が確認されたが、今回の調査では九百七十八人と判明。高齢化も進んでおり、海女を取り巻く厳しい状況が浮き彫りとなった。 (宿谷紀子)
調査は二〇一〇年七月から一年半かけ、海女が所属する鳥羽、志摩両市の漁協全二十九支所を対象に実施。海女の人数や年齢、海産物の捕り方、着替えや支度をする「海女小屋」の形態など八項目を海女本人や支所の担当者から聴き取った。
その結果、現役の海女は九百七十八人で、五十歳以上が九割を占めた。最高齢は八十三歳。六十~七十代が多く、二十~三十代は三十五人、十代はゼロだった。養殖業や観光関連の仕事と兼業し、海女のみで生計を立てる人はいなかった。
海女が中心となって豊漁を祝う祭りは十六件確認された。なかでも毎年一月に鳥羽市で行われる「ノット正月(しょんがつ)」は、ワラで作った舟に火を付けて海へ流す奇祭。昨年、消滅の恐れがあるとして国の「記録に残すべき無形民俗文化財」に指定された。一方、海女の減少に伴って消滅した祭りもあった。
地元では、古くから素潜りで海産物を採ってきた海女を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を目指す動きがある。今回の調査結果は、海女を文化財として再評価する基礎資料となる。県教委が報告書にまとめ、四月から各市町教委や図書館などに配る。
県教委の担当者は「海女文化は地域ごとに脈々と受け継がれてきた貴重なもの」と評価。一方で「若い人が少ないのは、危険と隣り合わせで収入が不安定などの理由があるだろう。このまま何も手を打たないと、伊勢志摩の海女文化は失われてしまう可能性がある」と危機感を示した。
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