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伊勢志摩宿泊観光イベントニュース

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津市香良洲御木曳

20年に一度行われる香良洲神社造営の御用材を運ぶお木曳は
平成25年3月31日に町民の大半が参加して盛大に行われました。
その様子は、時を越えて熱いものが伝わってきます。



写真は丸政商店ホームページをご覧ください。
撮影 谷口寛樹さん
http://karasu-marumasa.com/karasuokihiki


御木曳とは(ウキペディアより)
御木曳(おきひき)は、伊勢神宮の神宮式年遷宮における大衆参加の行事。
三重県伊勢市で行われ、御木曳初式は同県志摩市および度会郡大紀町でも開催される。
また同県津市香良洲町でも香良洲神社で御木曳が行われる。
以下、伊勢市で行われる御木曳を中心に記述する。
地元の奉曳団では「お木曳」と表記する。
奉曳(ほうえい)する用材により、御木曳行事、御樋代木奉曳式(みひしろぎほうえいしき)、
御木曳初式(おきひきぞめしき)という3つの行事に分かれ、内容にも多少の差異がある。

奉曳団
奉曳の主体であり、基本的には旧神領地(概ね旧伊勢国の宮川以南の地。)の1町内で1奉曳団が結成されるが、現在の町域とは必ずしも一致しない。 旧市街地においては一つの町がいくつもの奉曳団に分かれていることがあり、近年のスプロール化現象により曳き手の減少に苦慮している。 郊外では、数町で1奉曳団を結成しているところもあるが、住宅地造成などで人口が増え、分割したところもある。 また、2005年(平成17年)に伊勢市が周辺2町1村と合併したのを機に、旧神領地ではない宮川以北の旧度会郡小俣町・旧伊勢市の北浜地区や宮本・沼木地区でも新しい奉曳団が結成された。
奉曳団は、その所在地により内宮領と外宮領に分かれる。 概ね内宮に近い宇治地区や五十鈴川(派川)流域が内宮領であり、外宮に近い旧伊勢市街地(山田地区)や旧御薗村が外宮領であるが、歴史的な経緯から次のような例外がある。
宮川・五十鈴川河口にある大湊町は、地域的には外宮領であるが、海から運ばれた用材を集積し内宮・外宮へ振り分ける貯木池があったので内宮領にも属する。1年次は川曳・陸曳の両方に参加し、2年次は内宮へ陸曳を行う。(後述)
宮川左岸の磯町は、遷宮復活に功績のあった慶光院(けいこういん)に与えられた領地であったが、外宮領に属する。但し、奉曳は内宮へ行う。(後述)
神久(じんきゅう)という町の一部に二軒茶屋という地区があり、地域的には外宮領であるが、五十鈴川洪水時に用材を守った功績により同地区のみ内宮領として奉曳を行う。
奉曳団は、御木曳行事の間のみ結成される。お白石持行事の時には「奉献団」という名称になる。(例外はある。) 平年時、団が解散となる地域では、両行事に向けての積立金の管理や初穂曳の実施主体は町内会に移管されることが多い。 奉曳団名は概ね(旧)町名であるが、それに雅号と称する別名を付けることもある。
御木曳初式においては、複数の奉曳団が連合して奉曳することがある。 内宮領は所属全団が小学校区単位で連合団を結成する。但し、大正年間に鎮座した倭姫宮へは内宮領のほぼ全団で奉曳する。 伊勢市外の瀧原二宮・伊雑宮にも各々奉曳団または御木曳奉仕会があり、奉曳する。 外宮領は、旧市街地の特定の団のみが奉曳するが、2奉曳団で連合するものがある。
御樋代木奉曳式は、もともと神宮直轄の行事である。(官曳という。) 第62回においても内宮領は神宮直轄として行われた。 外宮領は、宮川河畔から外宮北御門までを奉曳本部の行事として行い、北御門から外宮五丈殿までを神宮直轄の行事として行った。 いずれに対しても奉曳団役員等の参加はあったが、奉曳団単位での参加はなかった。


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鳥羽・式年遷宮の菅島神社 ご神体、神殿に遷座 神宝も宮司ら運ぶ

二十年に一度の式年遷宮を迎えた鳥羽市の離島、菅島の
菅島神社(木下澄宮司)で二日、新殿祭、上棟祭、
川原祓(かわらばらい)式祭、遷座祭が執り行われた。 

google画像検索より(菅島神社)

同神社では、昨年五月にお木曳(ひ)き神事や報告祭など諸祭式典を進め、
本殿の建造が終了し、ご神体を本殿に移す遷座祭を迎えた。 
この日は、午前中から木下宮司や総代らが参列し、新殿祭、上棟祭があった。
午後からは総代や島内の各種団体代表らが参列し、宝物を仮殿から本殿へ
移すための「川原祓式祭」があった。 
正装した宮司、総代ら約六十人が、鏡や太刀、弓や矢などの神宝を持って
行列をつくり、島民らが見守る中、神社から約三百メートル離れた城山と
呼ばれる海岸へ向かった。
城山でおはらいを済ませた後、一行は神社へ戻り、本殿に宝物を収めた。 
夕方からは、ご神体を本殿に移す「遷座祭」があり、
三日には奉祝大祭と祝賀会が開かれるという。 
木下宮司は「宮司として初めての遷宮が、地元の皆さんのおかげで
無事迎えられたことはとてもありがたい」と、話していた。

菅島神社の場所

大きな地図で見る


ソース(伊勢新聞)






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46年ぶり「還城楽」 神宮内宮で春季神楽祭

伊勢市の伊勢神宮内宮で二十八日、春季神楽祭が始まった。
舞楽(ぶがく)公開では四十六年ぶりとなる「還城楽(げんじょうらく)」が、
神苑(しんえん)の特設舞台で披露された。
 還城楽は見蛇楽(げんじゃらく)とも呼ばれ、
中国西方の人が見つけたヘビを捕まえて喜ぶ姿を模した舞と伝えられている。
 赤を基調とした古式の装束と勇猛な面を付けた舞人が舞台に登場。
左手にとぐろを巻いた木製のヘビ、右手に赤いばちを持ち、
雅楽演奏に合わせて両手を振り上げるなど勇壮に舞った。
 舞楽公開では還城楽のほか、遊び戯れるチョウを表した
「胡蝶(こちょう)」など計四演目を上演。三十日まで、
毎日午前十一時と午後二時からの二回、披露される。
雨天時は参集殿能舞台で午前十一時からの一回のみとなる。
 神楽祭に合わせ、江戸時代に神宮神職の図書館兼学問所だった
内宮前の国史跡「林崎文庫」も三十日まで、午前十時~午後三時に公開している。
ソース(中日新聞)



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伊勢神宮:ヒノキ植樹祭に200人参加

伊勢神宮の宮域林(きゅういきりん)にヒノキを植える「神宮植樹祭」が23日、
三重県伊勢市宇治今在家町の神路山で行われた。
鷹司尚武大宮司や神宮職員ら約200人が参加した。 
宮域林は約5450ヘクタール。
20年に1度の式年遷宮で社殿などを建てる用材としてヒノキを育てており、
1926年から毎年、1万5000~2万本を植樹している。
秋にクライマックスを迎える今回の遷宮では、直径約40センチ、
樹齢80年以上の間伐されたヒノキが塀などに使われた。
鎌倉中期以来、木曽地域などで切った木を使ってきたが、
約700年ぶりに地元で調達したことになる。 
植樹祭で、神職が祝詞をあげた後、
金田憲明営林部長が「100年後には、宮域林からすべての
御用材を供給したい」とあいさつ。
くわを手に、高さ約40センチの苗木約900本を植えた。
200年かけて間伐しながら育てていく。
ソース(毎日.jp)


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鳥羽 田植え前に豊穣祈る 堅神神社で春の中祭

鳥羽市堅神町の堅神神社(江﨑速雄宮司)で十八日、五月の田植え前の恒例行事で、五穀豊穣(ほうじょう)と町民の健康、幸せを願う春の中祭(ちゅうさい)があり、江﨑宮司が本殿に神饌を捧げ、祝詞を奏上した。

 うっそうと茂る木々の隙間から木漏れ日が漏れる中、氏子総代が、本殿の入口に掛けられた布張(ふちょう)と呼ばれる幕を外し、神事が始まった。地元で取れたコメや魚、海草、野菜、御神酒などを奉納した後、江﨑宮司が五穀豊穣を祈る祝詞を読み上げた。

 江﨑宮司によると、堅神町は昭和三十年代ごろまで、市内有数の農業が盛んな地域だったという。朝熊山から流れる冷水が、上質なコメを作り出していた。だが、近年は農家の高齢化や後継者不足から耕作放棄地が目立つようになり、祭典もかつてのにぎわいを失った。この日も、参加したのは江﨑宮司と氏子総代三人だった。

 江﨑宮司は、「若者に神社の行事へ関心を持ってもらえるよう努めたい」と話し、地域の伝統や歴史を語り継ぐことの大切さを強調していた。九月末には、収穫に感謝する由緒祭が予定されている。
ソース(伊勢新聞)


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プロフィール

HN:
伊勢乃志摩男
性別:
非公開

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