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伊勢志摩宿泊観光イベントニュース

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海女100人がアワビ採り 三重県鳥羽市で29日「御潜神事」再現

伊勢神宮で用いられる神饌(しんせん)のアワビを二千年前から
納めている三重県鳥羽市国崎町で二十九日、アワビ取りの儀式
「御潜(みかづき)神事」が再現される。
海女の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を
目指す海女振興協議会や、同市観光協会などがつくる
海女文化世界遺産登録応援事業実行委員会(吉川勝也会長)が企画。
同神事の再現は、神宮式年遷宮に合わせて今年のみ行われる。

 御潜神事は、かつて国崎を中心に神島、答志、菅島、石鏡、
相差に志摩市の安乗を加えた旧七カ村の海女たちが、旧暦六月一日に
国崎に集まってアワビを採った儀式。
明治四年、神宮制度改革に伴う御贄(みにえ)献進制度の廃止ととも
に断絶した。

 平成十五年、鳥羽市と志摩市をつなぐ「パールロード」の無料化に
伴い、約百三十年ぶりに再現。
翌十六年まで、旧七カ村の海女らが集まって神事を行ったが、
十七年以降はほぼ国崎の海女だけで断続的に実施。
その取り組みも東日本大震災以降、休止中だ。

 二十九日には、鳥羽、志摩の約百人の海女が老の浜で三回潜り、
最後の一回はアワビの稚貝五千個を放流する。
御潜神事の名の由来は定かでなく、国崎漁協発行の国崎神戸誌では、
「当日三回潜ったから三回潜(みかづき)神事と呼んだ」という説を
紹介している。

 国崎町は、倭姫命(やまとひめのみこと)が
天照大神(あまてらすおおみかみ)の鎮座地を探して巡行する過程で、
「おべん」という海女がアワビを差し出した土地として知られる。
その際、倭姫命はアワビの見事さに感動し、おべんにアワビを神宮に
納めるよう命じたという。
のしアワビ作りの技術は、県の無形民俗文化財に指定されている。

 問い合せは、同実行委員会=電話0599(25)3019=へ。
ソース(伊勢新聞)

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伊勢神宮「伊雑宮」で御田植祭-鶴が稲穂を落とした神話が始まり

稲穂をくわえた鶴が穂を落とした「白真名鶴(しろまなづる)伝説」を
元にする祭り「御田植祭(おみた・おたうえさい)」が6月24日、
伊勢神宮内宮の別宮「伊雑宮(いぞうぐう・いざわのみや)」
(三重県志摩市磯部町)と同宮神田で執り行われた。

平安時代から伝わるとされる伊勢神宮伊雑宮の御田植祭

 第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が
伊勢神宮に納める神饌(しんせん)を探し求めて志摩を訪れたとき、
昼夜鳴く一羽の白真名鶴が稲穂をくわえていたことを起源として、
平安時代末期か鎌倉時代初期から始まったとされる。
香取神宮(千葉県香取市)と住吉大社(大阪市住吉区)の御田植祭と
ともに日本三大御田植祭の一つとされている。

 伊雑宮で祭りの成功祈願とおはらいを行い、場所を神田に移動すると
田道人(たちど)と白い衣装に赤いたすきがけの早乙女(さおとめ)が
苗場を3周半回って苗を取る。
次に、裸男が「太一」と書かれた大きなうちわの付いた忌竹(いみだけ)
を奪い合い泥だらけになりながら繰り広げる荒々しい「竹取神事」、
赤い衣装を着て倭姫命に扮(ふん)した太鼓打ちが田舟に乗り田楽を
奏でながら、田道人と早乙女が横一列になって田植えを行う「御田植神事」が
古式にのっとって執り行われた。

 歌われる躍り込み唄の歌詞には「御田(みた)の起こりは神代の昔、
鶴が落とした稲穂から」「今年しゃ豊年穂に穂が咲いて、升は取り置き
箕(み)で計る」「一の鳥居で昼寝をしたら、五穀繁盛の夢を見た」
「岩がもの言うオオムの岩が、誰が言わした倭姫」など祭りの起源や
農民の願いを伝えている。
ソース(伊勢志摩経済新聞)

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大津波犠牲者を供養 二見興玉神社で郷中施

三重県伊勢市二見町江の二見興玉(おきたま)神社内の龍宮(りゅうぐう)社で
二十三日、江戸時代の大津波の犠牲者を供養し、安全を祈る神事
「郷中施(ごじゅうせ)」が営まれた。
一七九二(寛政四)年に江地区が大津波の被害に遭った際は、村中の人々が
食べ物などを分け合い、力を合わせて水難から立ち直った。
津波の教訓や助け合いの精神を後世に伝えようと毎年、津波のあった
旧暦五月十五日に行われている。
社殿での儀式に続き、神職らが供え物のキュウリと海藻のミル、マツナを
載せた木船を近くの浜辺に運んだ。
供え物は「津波を急に、見るな、待つな」という語呂合わせで、津波が来たら
すぐに逃げろという先人の教えが込められている。
多くの氏子らが見守る中、舞女二人が木船を海へと流し、祈りをささげた。
ソース(中日新聞)

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式年遷宮:泥まみれで団扇奪い合う 伊勢神宮別宮で御田植式 三重県志摩市

今秋、20年に1度の式年遷宮を迎える伊勢神宮(三重県伊勢市)の
別宮の一つ、伊雑宮(いざわのみや)(同県志摩市磯部町)で24日、
豊作と大漁を祈願する「御田植式(おたうえしき)」が行われた。
古式にのっとった神事を、多くの人が見守った。

 一文字がさの早乙女と、田道人(たちど)(田で働く男)各6人が
苗代に入り、早苗取りをして祭りが始まった。
下帯姿の男衆約40人が御料田に入り、「太一」と書かれた
高さ約20メートルの竹製の「団扇(うちわ)」を泥だらけになって
奪い合う「竹取神事」の後、早乙女と田道人が笛や太鼓などに合わせ
苗を植えた。

 香取神宮(千葉県香取市)、住吉大社(大阪市住吉区)のそれと共に、
日本3大御田植祭として知られる。
平安時代が起源とされ、1990年に国の重要無形民俗文化財に指定された。
ソース(毎日.jp)

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三重県志摩市磯部町 竹取神事、勇壮に 伊勢雑宮で御田植式

「磯部の御神田」として国の重要無形民俗文化財に指定される
伊雑宮御田植式(いざわのみやおたうえしき)が二十四日、
志摩市磯部町上之郷、伊勢神宮内宮別宮の伊雑宮御料田で執り行われた。
朝まで降り続いた雨が上がる中、集まった大勢の見物客は、
半裸男たちの勇壮な「竹取神事」と、早乙女らがおはやしと
謡曲に合わせてゆっくりと苗を植えていく「御田植神事」に
よる静と動の儀式に見入っていた。

 竹取神事では、松竹梅や太陽、月、千石船などが描かれた
大きなうちわの付いた約二十メートルの忌竹(いみだけ)を、
約四十人の男たちが泥だらけになって奪い合う。その後、
すげがさに白装束の赤だすきをまとった磯部小、中学校の
女生徒らによる早乙女六人と、法被姿の田道人(たちど)と
呼ばれる八人の青年らが、竜笛や太鼓などの音に合わせて、
ゆっくりと後ろ向きに苗を植えた。

 御田植神事は半分ほど植えると休憩に入る。
その間、酒宴が催され、子役らによる田んぼを鳥から守るための
「刺鳥差(さいとりさし)の舞」が披露された。

 伊雑宮御田植式は、千葉県の香取神宮、大阪府の住吉大社と
並び、日本三大御田植祭に数えられ、その起源は平安時代後期まで
さかのぼる。
古来より、旧磯部村九郷の人々が、地区別に七年ごとの持ち回りで運営。
今年は迫間(はさま)地区が担当した。
ソース(伊勢新聞)

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プロフィール

HN:
伊勢乃志摩男
性別:
非公開

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